情報機構で連載している一般向けコラム、「それで、データ・プライバシーって何ですか」を転載します。

「プライバシーはなぜ大切か」や「プライバシー・マネジメント」の概念の最新情報を月二回発信していますので、ぜひお読みください。https://johokiko.co.jp/column/column_takaya-terakawa20.php


第1回 インターネットはいいもの?悪いもの?(2020/1/15)

1)私たちが生きる時代
 1999年10月、世界で初めてインターネットでのストーカー被害による殺人が起きました。この時殺害された女性、エイミー・ボイヤー(Amy Boyer)の家族はウェブサイトを立ち上げ、次のように綴っています。

 「インターネットは瞬く間に普及し、日常生活の大きな部分を占めるようになりました。今、私たちは立ち止まって、一歩下がり、自分たちが何を創り出したのか、この技術が私たちをどこへ連れて行こうとしているのか考える時が来ているのではないでしょうか」

 この事件から20年がたち、インターネットはビジネス界だけではなく日常生活にも深く浸透しました。インターネットは私たちの生活に欠かせないものとなっています。AIの活用、「つながる車」(connected car)の実用化、IoT製品の普及は、この傾向をさらに加速することでしょう。しかし、「この技術が私たちをどこへ連れて行こうとしているのか」私たちは本当に考えてきたのでしょうか?SNSを通じた犯罪の発生や企業が人々のデータを人権侵害といえる方法で利用している事例が報告されるのを見ていると、残念ながらまだまだ検討すべきことは数多くありそうです。

 私たちは個人的な空間を必要とする存在です。それは一人だけの場所かもしれませんし、心を許した相手との時間かもしれません。自分だけの「スペース」があることで気持ちに余裕が生まれるのです。私が専門にしているデータ・プライバシーは、わずか25年ほどで実現したインターネットでつながる世界に、人が人らしく生きる上で必要なバランスを取り戻すことを目指しています。

 現代はだれもがネット上でのストーカー被害(cyber-stalking)やいじめ(cyber-bulling)といった犯罪にさらされる可能性のある時代です。犯罪でなくても、インターネット技術の発達によって、利用しているサービスや家電製品を通じて公表するつもりのないことを気付かないうちに誰かに知られてしまっています。そんな時代には、自分だけの「スペース」を持つことは特別な努力なしには不可能です。

 このコラムでは、私たちの問題としてのデータ・プライバシーを日常の視点から紹介し、必要な対策や私たちにできることについて紹介します。コラムを通じて、私たちが直面している課題を知り、どのような社会に生きていたいのかを共に考えていただければ幸いです。

 

2)インターネットはいいもの?悪いもの?
 20年以上連絡を取っていなかった相手に中国で再会できたという友人がいます。友人は知人が中国に移住したらしいと噂で聞いていました。そこで中国で仕事が入った際、試しに相手の名前を検索してみたのです。果たして同じ名前の人物が見つかり、友人はその会社の代表連絡先にメールを送りました。会社の担当者から知人に連絡が行き、二人は孫文が通ったという北京のレストランで20年ぶりの再会を、紹興酒を手に果たしたのです。

 これは、私が大学生の頃の話です。あの頃はトム・ハンクスとメグ・ライアンが主演をつとめた『ユー・ガット・メール』(You’ve Got Mail, 1998)がヒットした時代でした。だれもがインターネットについて楽観的で、その可能性に胸を膨らませたものです。インターネットは出会いを、時にはロマンスさえももたらします。閉鎖的になりがちな私たちの生活に風穴を開けてくれる存在です。

 現在、私はTwitter、Facebook、LinkedInといったSNSを利用していますが、ここでは世界中の友人とつながることができます。日本では見られないようなダイナミックな活動をしている人とつながることもできます。思わず笑ってしまうようなジョーク、元気をくれる言葉、かわいらしい動物の写真、美しい風景の写真といった心のサプリメントを得ることもできますし、つながっている仲間との情報共有も可能です。遠く離れた、会ったこともない相手と新規プロジェクトを立ち上げることさえあります。

 インターネットが素晴らしい場所だということは、疑いの余地のないことでしょう。しかし、インターネットには負の側面が存在することもよく知られています。たとえば、ネット上に出た情報を削除することはほぼ不可能です。これが大きな問題になることもあります。アメリカの政治家が顔を黒塗りメイクで大きな非難を浴びることがありますが、人として未熟な時代に思慮を欠いた行動を行ってしまうことは、程度の多少はあれ、だれもがあるものです。今は就職活動で採用担当者がSNSで候補者を検索する時代なので、過去に行ったネット投稿が思いもよらない形で採用担当者の目に留まり仕事の機会を失うことも起こり得ます。インターネットが、チャンスを奪いかねない凶器となる瞬間の一つでしょう。今回のコラムの冒頭で紹介したサイバーストーキングは命を奪われるという、あってはならない事件となってしまいました。学校ではネット上の陰湿ないじめで不登校になる子どもや自ら命を絶つ子どももいます。ビジネスの世界では、詐欺メールで億単位の資金を失う事件ハッキングによる風評被害を招く事件が報道されています。
 事件性はなくても負の効果をもたらすこともあります。携帯電話やラップトップがあればどこでも仕事ができる時代となったおかげで、帰宅後もe-mailをチェックしまうことはないでしょうか?そのような状態になると週7日24時間仕事をしている状態となり、心が休まりません。インターネットでつながっていることが、心理的ストレスをもたらすこともあるのです。

 インターネットは文明の利器なのでしょうか?それとも人類にもたらされた凶器なのでしょうか?

 答えは人によって異なるでしょう。
 私は、インターネットは自動車のようなものだと思っています。自動車は私たちに移動や物流の面で大きな恩恵を与えてきた反面、交通事故のリスクももたらしました。しかし、私たちは自動車を使い続けています。大切なのは、リスクをコントロールすることだからです。
 実際、社会は長い時間をかけ、様々な痛みを伴いながらリスクのコントロールに成功してきました。日本の2018年の交通事故による死者数は3,532人でピーク時の1万6,765人(1970年)から比べると約5分の1となっています。一方で、日本の自動車の保有台数は1970年の1,758万台だったのが2018年ではその約4倍、7,829万台です。自動車の数が4倍に増え、死亡事故が5分の1に減少しているのですから、車社会の成熟と自動車そのものの安全性能が格段に向上したことが推測できます。
 注意したいのは、リスクがゼロに近づいたというわけではないことです。交通事故は依然として多く発生しています。統計によると2018年の日本の交通事故数は43万0,601件で、1分に1件の交通事故が発生している計算となります。重大なリスクを抑え込むという面では成果を出しているものの日常的なリスクに関してはまだまだといわざるを得ません。

 インターネットの世界でも同様の道をたどることでしょう。私たちはもう、文字を打ち込むだけで情報を検索でき、コミュニケーションを行えるこの素晴らしい技術を手放すことはできません。取り組むべきは、リスクをコントロールすることです。自動車がたどったように、まずは重大な事故が発生する確率を低下させ、安全性を格段に向上することです。リスクをゼロにすることはできませんが、許容できるレベルまで低減することならば可能なはずです。そのためには、私たちはインターネットに潜むリスクを理解し、有効な対策を行う必要があります。

 インターネットはまだ生まれたばかりの技術であり、社会はその発達のスピードに追い付けていないというのが現状です。仕組み、制度、法律とあらゆる面で社会的基盤の整備が遅れています。
 YouTubeにビル・ゲイツにデービット・レターマンがインタビューをしている番組の録画が残っています。ここではインタビュアーのデービット・レターマンが「インターネットで野球の試合が見られるって?」と質問をしています。この番組が録画されたのは、わずか25年前の1995年のことでした。100年前、自動車ができた時に、「馬がいないのに荷台が勝手に動くというのかい?」と質問した人がいたかどうかはわかりませんが、自動車が社会に浸透するスピードと比べるとインターネットの普及に要した時間はわずか4分の1程度でしかありません。車社会が安定しているのは、100年という時間をかけて社会が技術に適応したからでしょう。
 私たちは、インターネットのある世界に社会をあわせる途上にあります。GDPRやCCPAといった斬新なデータ保護法も、その一環と理解できます。今年改正される予定の個人情報保護法も同様です。私たちは、新たなスタンダードの下で運営される社会を創造しつつある過程にあるのです。私たちがどのような社会に生きていたいのか、どのような社会を子どもたち、そして将来の世代に残したいのかを考え、形にしていくことが、私たちの世代の責任であり、仕事だと私は考えています。これは読者の皆さんを含め、今という時代を生きるすべての人の大切な仕事なのです。

情報機構:講師コラム

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